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2011年10月

2011年10月 2日 (日)

「中国が歴史問題にこだわる理由」 第二回講義録

前回は「記号とは」という講義を行いました。今回はなぜ中国があれほど歴史問題にこだわるのかを解説していきたいと思います。

 

第二回講義録 「中国が歴史問題にこだわる理由」

1.国を統治する正当性

ところでですが、なぜ日本政府が日本を統治する正当性があると思いますか?

一番の担保は「選挙」にあります。日本国民は選挙で国会議員を選べます。そこから「私たちの政府は日本を統治するのは当たり前」だと思う、というより、「なんで(今の)政府が日本を統治しているんだ!おかしいぞ!」なんて思う機会はない訳です。

しかし、中国ではこれは非常に核心的な問題となります。

なんで中国共産党は中国を統治できるのか。もちろん憲法などもありますし、法的な手続きはきっちり踏んでいるので、合法的には問題ありません。(自分で作った法なので、当然と言えば当然ですが)。

疑問を生む最大な原因は「選挙が行われない」ことにあります。なんで私たちを統治しているのだろう、と人民が考える可能性は、自然にしていれば十分にあるでしょう。

そこで、中国共産党は正当性を2つの側面に求めることにしたのです。

それが「歴史」と「経済」です。

 

2.歴史

近代中国はアヘン戦争から始まったとも言えます。1840年です。

それまでの中国は世界の覇者とも言えるほど、隆盛を極めていました。しかし、アヘン戦争から第二次大戦以前までは“敗北の歴史”と言っても過言ではありません。列強諸国に蹂躙され続けていました。

その転換が日中戦争でした。

日本人から見ると、第二次大戦はアメリカに負けて終わった、と覚えている人が多いと思います。しかし、ポツダム宣言はアメリカ、イギリス、そして中国の3ヶ国の首脳の名前で発せられました。

つまりは、中国からみれば、第二次大戦とは、「日中戦争として日本に勝った戦争」という理解になります。

この日中戦争が現代中国の礎となる経験となっています。現代中国は抗日という経験を元に成立している訳です。

 

3.経済

もちろん歴史だけでは、現代人は満足できないことがどうしても出てきます。経済的な豊かさが必要です。貧困にあえぐ人は当然自分の国の政府はどうしているのだと不満を持ち、政府を倒そうと考えるかもしれません。

反対に、生活が豊かになっていけば、自分の政府に対して不満を持つ人はまずいないしょう。

中国政府は自国民が政府に不満を持たないように、絶えず成長を続けさせなければなりません。

この経済発展を人民へ見せようと、工業化の負の面や安全性を考慮せずに急速に進める結果、様々な問題が発生しています。この点も重要ですが、これは中国の国内問題になるので今回は割愛します。

 

4.中国にとっての領土問題の重さ

中国政府は国を統治する正当性を国民からもたれやすく、それを防いでいく必要があることはすでに述べました。経済は次々と新しい政策を打ち出していけますが、歴史は容易には解釈を変えられないほど非常に大きな重みを持っています。

アヘン戦争以後の欧米列強との戦争、日中戦争、そして国共内戦。多くの犠牲があり、この重みは動かせません。

現代中国政府はこの歴史の継承者として、正当性の根拠を見出したのですが、つまりはこの歴史観を否定することは自身の政府の正当性を失わせることに、全く同義なのです。

この多くの犠牲を払った戦いの中でも、やはり最も重要なのは日本との戦いです。絶対に譲ることはできないのです。自身が歴史を継承していないことになってしまう訳ですから。

市民にとって、政府の態度が最も分かりやすいのは領土問題です。やはりここでは市民へのアピールを保たなければなりません。

 

5.琉球帰属問題・日清戦争への理解

また、領土問題にはもう一つの意識があります。

日本のせいで台湾が別の政府下になってしまった、沖縄周辺の土地も本当は中国のものだったのにという意識です。

 

沖縄や台湾周辺の地域は、19世紀になる頃まで国の帰順が曖昧な地域でした。

当時の中国の中央政府(清)は台湾の統治に関心はありませんでした。沖縄(琉球)も日本の中央政府から支配を受けていたという訳ではなく、17世紀に島津氏の侵攻を受けて、島津氏・薩摩藩からの統制を受けつつも、中国中央政府を宗主国とする関係を持ち続けていました。

中国人はもしも“その頃ままだったら”、当然台湾は中国の一部で、同じく沖縄周辺地域も中国のものだっただろう、と考えているはずです。

 

当時の日本政府は、今の日本政府よりもずっと国益に適う外交戦略に長けていました。

まず、1874年に起きた事件を利用しました。琉球人が台湾に漂着してしまった後、その琉球人が台湾人に殺されてしまったのです。

中国から見れば、国内での事件として対応するべきでした。中国のある地域の人が、中国の別の地域の人に殺されてしまったとすれば、以前と同じく沖縄も台湾も中国だと主張し続けることができます。

しかし、日本は琉球人は日本人だとしました。日本人が外国人に殺されたと判断したのです。つまりは、台湾はどこか別の国だが、沖縄は日本のものだと理解したのです。

これに対する中国側の対応が(中国にとって)非常に失策でした。

「台湾人は中国中央政府の王化が及ばない『化外の民』なので、責任は中国中央政府にはない」としたのです。台湾人には中国の中央から影響を受けてないから知らないよ、と言ってしまったのです。

そこで日本政府は台湾へ出兵しました。この出兵は、自国民を守るために外国へ攻めるという意味を持っていました。

曖昧だった地域がこの事件のために、沖縄は日本のものと判断される契機になりました。

 

この判断を決定づけたのが1895年。日清戦争後の下関条約です。

下関条約では、台湾と澎湖諸島(台湾の西側にある)を日本へ中国が明け渡すことが決められました。

これの台湾とその西側の島々を渡すということは、それより東側の沖縄はもともと日本のもとだったという解釈しかできません。

下関条約で沖縄は日本だと決まったので、もし日清戦争で日本が勝たなければ、沖縄周辺の島は全部中国のものになっていたかもしれません。

 

こうして、沖縄だけでなく、台湾が中国とは別の国となってしまいました。

台湾が政治的に大陸と分けられたものになったのは、中国人は当然日清戦争にあると考えるでしょう。

台湾・沖縄周辺の領土問題は、もともとは全部中国だったのに、日本のせいで問題が発生してしまった理解があるのです。

 

6.まとめ

中国がなぜ歴史問題にこだわるのか、という理由は、中国共産党が中国を統治する正当性が確立されていないからです。

中国共産党はその根拠として、経済とあわせて「歴史」を選んだのです。歴史とは、現代中国の成立時ことを指し、すなわち抗日となってしまいます。

しかも、領土問題には、もちろん人民に分かりやすくアピールできるという面もありますが、「日本が戦争で混乱させた」という意識があります。中国は歴史問題の中でも、なおさら領土問題には熱が入るのです。

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2011年10月 1日 (土)

「記号とは」 第一回講義録

お久しぶりです。

少し学術的なブログ記事を書きたくなりました。文化構想学部文芸ジャーナリズム論系らしい授業について、いくつか書きたいと思います。

このブログ記事を書くのをきっかけに頭の中を整理していきたいと思います。もし少し間違いがあったらごめんなさい。

 

今日は「記号」について書きたいと思います。

「記号」という言葉はみなさんよく聞くとは思いますが、なんかほわーとした感じの理解の人が多いのではないでしょうか?

ということで、今回は「『記号とは』 第一回講義録」といたしましょうー

 

1.記号の定義

記号とは、「その形とは直接結びつかない概念と結びついているもの」のことを指します。

たとえば、言葉は記号です。信号機の色も記号です。

 

「Aというものを見ると、何か別の行動を引き起こしてしまう」なんてときはAは記号の可能性が高いです。

だた直接結びつかない概念とではなくてはなりません。例えば、「黒い厚い雲」を見たら、「雨傘」を持って行くというのは記号の関係になっていません。持って行った方がいいのは単なる事実です。

では、何があれば、直接結びついていないと言えるのか解説していきましょう。

 

 

2.三大性質その1「二重性」

一つ目は「二重性」があるということです。

当たり前ですが、「意味する形」と「意味される内容」の2つがなくては、何も始りません。

 

意味する形は「シニフィアン」と呼ばれ、

意味される内容とは「シニフィエ」と呼ばれます。

(昔は無理やり日本語に訳して、「能記」と「所記」と呼ばれていましたが、今は流行っていないので、古い文献を読まない限り関係ありません)

 

シニフィエとなるシャーペンの画像これは私が使っているシャーペンですが、この写真に写っている物体を仮に「P」としておきます。(PenのPということで…)

シャーペンという「音」は意味する形なので、「シニフィアン」となり、

「P」は意味される内容ですので、「シニフィエ」になります。

 

このように記号には必ず、「シニフィアン」と「シニフィエ」の2つの関係があります。

 

※シャーペンと書いてしまうと、言葉になってしまっているのでややこしいと思ったのですが、逆にPなんて言われると分かりづらいですか? そうであれば、Pを「写真」に置き換えても大丈夫だと思います。

 

3.三大性質その2「恣意性」

シニフィアンとシニフィエは恣意的に結びついています。

例えば、「P」は「シャーペン」と言われていますが、シャーペンと言われなければならない必然性はない訳です。

なんでペンは「ペ」という音と「ン」という音から合わさって成り立ったのか、その問いには意味がないということです。

もしも、ペンという言葉を知らない人がいて、「P」を見たとき、「ペ」という音と、「ン」という音を言いたくなる、なんてことはないでしょう。

 

4.三大性質その3「示差性」

シニフィアンは、一つの体系内において、相互の差異を示すだけです。

ここもPで示すなら、「シャーペンという『音』」はPそのものと繋がっているというよりは、「ボールペンという『音』」でもなくて、「鉛筆という『音』」でもなくて・・・・、というように「○○ではない」ということが本質だ、ということです。

性質2と合わせて考えれば分かりやすいと思いますが、シャーペンという音を使わなくてもいいということになります。

例えば、英語なら「mechanical pencil」と言いますし、言う本人だけ分かる別の言い方、たとえば「しぺ」なんて言ってもいい訳です。

 

信号機で示すと分かりやすいので、信号機を使いましょう。

シニフィエの示差性を示す信号機の画像信号機の色は3色あり、これが1つの体系となっています。

その中で色がシニフィアン、「進む」「注意」「止まれ」がシニフィエです。

 

シニフィエの示差性を示す信号機の画像もしも青が、カバーが外れて白色になってしまっていたら、どうでしょう?

もちろん、これでも「進む」「注意」「止まれ」は変わらないですよね。

つまり、青は青色じゃなくてもよいのです。黄色じゃなくて、赤色でもなければいいだけです。つまり同一体系内の他のシニフィアンと違い(=この場合では、「注意」の色と「止まれ」の色との違い)を示せればよいだけです。

 

5.まとめ

記号とは、「直接結びつかない概念と結びついているもの」をいいます。

直接結びつかないということには、「シニフィアンとシニフィエの二重性」、「シニフィアンとシニフィエの結びつきの恣意性」、「シニフィアン相互の示差性」があるということを意味します。

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この話はソシュールの言語学の話です。

興味がある人は、丸山圭三郎著『ソシュールの思想』に詳しい説明があります。

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