旅行

2013年2月11日 (月)

沖縄で平和を考える

沖縄旅行に行ってきました。

卒業旅行ではなくて、来春からメディアに携わるものとして沖縄のことは学んだ方がいいだろうと思ったのが動機です。

 

まず思ったのが、米軍基地のことは気にしようと思わないと、気づかないということです。

あえて基地の近くに行った時を除けば、1週間いて北端から南端まで移動しましたが、軍用機が飛んでいるのを確認したのは数回しかありませんでした。

 

ちょうど琉球朝日放送の番組を見たり、日本人とは何っていうことを考えたりしていたので、沖縄問題では、

 

・琉球処分を経て、本土人とは異なっていた沖縄人を教育で皇民化させた。

 

・北部の高江で、アメリカ軍が「ベトナム村」を作り、住民にベトナム人役をさせて実践的演習を行っていた。今も高江では村を目標物と見立てていると思える訓練を行っている。

 

というようなことが念頭にありました。

しかし、そこまで日常に影響しているという訳ではなさそうです。

 

普天間基地が見下ろせることで有名な嘉数高台公園にオスプレイを見に行った時も、背広を着た団体が多くいたり、私服でも市民団体風な人もいたりするなど、地元民よりも周囲の人物が集まっている印象でした。

嘉数高台公園から見えるオスプレイ


(写真:嘉数高台公園からオスプレイ)

 

普天間基地とフェンスで隣接することで有名な普天間第二幼稚園・小学校にも行きました。米軍機がすぐ横を通過し、(行った時は)それも1分に1機くらいの頻度でした。平日の昼に行ったこともあり、たくさんの園児が元気に校庭を走りまわっている声を聞きました。確かに、異常で何とかしないといけない状況です。

普天間第二幼稚園・小学校とヘリコプター

(写真:園児と軍用機)

 

しかしこれも、基地の方が先にあったのにわざわざ隣に作った、学校の移転計画があったのを市民団体が基地を認めることになると反対したなど、アメリカではなく日本によって作られた危険であるという説もあるくらいだそうです。

 

 

しかし仮に幼稚園・小学校があえて作られたのだとしても、普天間飛行場の発着数は膨大で、住宅地にあり、危険なことには変わりません。沖縄国際大学ヘリ墜落の事件や、米兵の犯罪とその後の処罰における日米地位協定の問題もあります。

 

 

観光客で分かるのは、平和を祈念する様々な施設から沖縄戦を窺うことや、あまりにも多くの文化財が沖縄戦で破壊されているということや、文化財自体が基地の中にあり、自由に訪れられない事例に気付けることでしょう。

 

例えば、世界遺産の首里城や識名園は沖縄戦で破壊されて復元したものです。国の重要文化財である喜友名泉(チュンナーガー)はキャンプ瑞慶覧(ずけらん)内にあり、通常時は入れません。

 

 

 

ここで思ったのは、沖縄の負担というのは大きく分けると、恐怖と歴史ではないかと考えました。

 

恐怖とは軍用機が飛び回ったり、日米地位協定で不平等な関係にある米兵との関係です。歴史とは沖縄戦で受けた精神的・物理的傷跡と、その後の戦後処理における不都合です。

 

恐怖は暮らしてみないと分からない部分が多いと思います。観光では飛行場や訓練地の側にい続けることはできないし、米兵と実際に接触する機会もほとんどありません。

 

観光客として分かる歴史の面を考えることにします。

 

 

 

沖縄で私が感じたのは、今自分が立っているこの場所で、死んだ人がいたのか、殺された人がいたのか、すなわち殺した人がいるのか、自決せざるを得なかった人がいたのか。

 

殺しがあった場所であるということです。

 

沖縄にはそうした激戦地、ガマ(洞窟)、壕などが多数公開されています。

(写真:鉄筋がむき出しになるほど破壊されたトーチカ(穴から兵士が銃を突き出して攻撃した))

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殺し合いが行われていたことを実感すると、第一には日本の兵士たちに日本のために戦ってくれたことの感謝と亡くなった人へは冥福を祈りたいという気持ちですが、同時にアメリカ兵も本当に殺したかったり、死にたかったのかということ、そして沖縄に住む遺族たちは戦争を感じざるを得ない場所で暮らしながらも敵国であったアメリカと共生しないといけないという現実をどのように受け止めているのだろうかという疑問が湧いてきました。

 

 

 

友人が言われて気付いたのは、「B29を作ったボーイングの飛行機に乗って沖縄に来ている」ということです。

 

あの人を殺した飛行機と同じだ、って思っていたら、ボーイングに乗っていられないのか。

ベトナム戦で使われたB52だってボーイングか。

B29とかB52とかのBってボーイングのBなんだって意識していませんでした。

 

 

アメリカ兵やボーイング社のことを考えた時、当時は日本人を殺そうという気持ちでいたはずだけど、それを理由に怨んでいいのかどうか。

あの惨劇を引き起こしたリトルボーイやファットマンだってB29から投下された。

単純に考えてしまえば、拒否感はあるはずが、普段気が付かないから平気でいられる。しかし沖縄県民は親族や仲間を殺したアメリカ兵がすぐ側にいて、普段はどのように思っているのだろうか。

 

 

 

日常的に米兵の顔が見えてしまうから過去とは違うのだと理解できるのだろうか。

 

自らの経験に重ねると、就職活動をしている時に思ったのが、水俣病を引き起こしたチッソ、イタイイタイ病を引き起こした三井金属、新潟水俣病を引き起こした昭和電工で働きたいと思う人はどんな人なのだろうかということ。

 

そんなにも暗い過去を持つ企業をあえて選ぶ意図は何なんだろうかと。

昔とは違うからというのは自分に対する言い訳にしているのか、何も考えていないのか。

米軍基地で働く人も同じなのだろうか。

 

 

そんなことを考えた状態で、映画「レ・ミゼラブル」を見ました。

1つのパンを盗んだために19年間もの監獄生活を送ることになったジャン・ヴァルジャンの生涯をたどる作品です。

映画では警官のジャヴェールとの駆け引きが描かれる。

主人公のジャン・ヴァルジャンは、犯した罪はパンを盗んだことが原因で、しかも飢えた姉の子供を救うためであり、さらに多くの善行を行っている。

 

一見、ジャン・ヴァルジャンを逮捕しようと躍起になるジャヴェールは理不尽に思えます。しかし、ジャヴェールにも根拠があり、法に則って職務を全うしているだけです。ジャヴェールは自分が法に則っていることを誇りに思って、そのことを一切疑っていない。

むしろ法治国家であればジャヴェールに理はあるとも言えるでしょう。

 

この「レ・ミゼラブル」こそ、アメリカと共生するヒントが隠されていると感じました。

 

沖縄を守る日本兵をジャン・ヴァルジャンに、沖縄を攻める米兵をジャヴェールに置き換えてみる。

一見、18万8000人の死者をもたらした米兵は共感することは不可能である。しかし、彼らもアメリカの立場から言えば正しい行いをしている。

日本兵であっても自らの国土を守るという極めて当然のことをしているように見えるが、国土を守るためにと言って海外へ侵略していることは事実である。

 

どちらも大義はあり、また同時に、どちらも非難すべきである点はある。

 

 

 

非難すべきである決定的要因である「殺人」について考えてみます。

 

人間は過去を遡れば、殺人は歴史に深く根ざしていることが分かる。何かが変革する時に殺人を伴うことも多い。

この殺人の繰り返しを止めることはできないのか。

 

決してそうではないと思う。

殺人は本来、人間はしたくないと考えるはずだと思う。

 

デーヴ・グロスマン著『戦争における「人殺し」の心理学』を読むと、

 

 

(アメリカ兵は)、第二次世界大戦中、敵との遭遇戦に際して、火線に並ぶ兵士100人のうち、平均してわずか15人から20人しか「自分の武器を使っていなかった」のである。しかもその割合は、「戦闘が一日中続こうが、二日三日と続こうが」つねに一定だった。

 

 

 

15~20%しか発砲しないという現象は、非常に普遍的な法則であることが明らかになる。日本軍が捨身の集団突撃をした場合も同じであった。アメリカ兵以外にも適応できると分かった。

 

さらに、発砲したとしてもあえて相手の兵士に当たらない場所を狙う場合もかなり多かった。

 

ナポレオン戦争または南北戦争のころ一連隊(約1000~2000人)は、30ヤード(約27メートル)の射程距離から掩蔽のない敵連隊にマスケット銃を発砲する場合、平均して一分に一人か二人しか殺せなかった。

 

 

また南北戦争の激戦地を経験した兵士はこんな事例を話した。

 

一個中隊の兵士が、同数ほどの敵に対して、15歩も離れていないところからなんども一斉射撃を繰り返した。それでいてひとりも死傷者が出なかった。

 

 

たとえ戦場から帰還できても兵士は苦悩し続ける。

アメリカ軍のベトナム帰還兵でPTSD(心的外傷後ストレス障害)は、従軍した280万人のうちの50~150万人(18~54%)が発症しているという。

 

いかに殺人を経験するということが、人間本来の性質と反しているか。

 

 

人間が殺人と本来的には遠いはずが、なぜ人間は殺人を繰り返してきたのだろうか。

世界史的には驚くべきことになる、ほとんど戦争で殺人をしなかった時代が日本にはあるではないか。

江戸時代だ。

ノエル・ペリン著『鉄砲を捨てた日本人』に詳しい。

 

16世紀後半の日本は、非西欧圏で唯一、鉄砲の大量生産に成功し、西欧のいかなる国にもまさる鉄砲使用国になった。にもかかわらず江戸時代を通じて日本人は鉄砲を捨てて刀剣の世界へ舞い戻った。

同時代の西欧では鉄砲の使用・拡大によって戦争に明け暮れていたことを考えると、この日本の<奇蹟>が示唆することは大きい。

 

 

日本が鉄砲で世界最先端にあったことも驚きだが、改めて考えてみると江戸時代は戦争という観点では平和な時代であった。

日本人は軍縮に成功した歴史を持っている。

今だって、憲法は平和主義で、唯一の原爆を市内に落とされた国です。日本人として平和に向かうことを考えていい。

 

 

しかし人は何のために戦うのだろうか。

愛する人のためだとかいうのが本来だと思いますが、大義上は国のためでしょう。

 

沖縄の興味深いところに一体国って何なのってことを考えさせてくれるところがあると思います。

国に疑問を感じ出せば戦争が成り立たなくなるのでは?

国って何だろうって思いませんか。特に戦時中なんてお国のためって言うけれどお国って何だって思っていた人は多いのではないか。

 

 

沖縄は日本の輪郭に問題提起できる場所です。

 

1609年に薩摩藩・島津の侵攻を受けるまで日本に属していなかったし、1879年に琉球処分が行われるまで中国に朝貢していた。

戦後、アメリカ統治下に入ったのも、昭和天皇がアメリカに差し出したからであるという説もある。

 

本土から見て守るべき日本の中に沖縄はなかったのだ。今でこそ沖縄は日本であると広く認識され、沖縄人は本土人と同じ括りにされているが、以前はアイヌや台湾人、朝鮮人と同じレベルで比較され得た存在であった。

 

中国と日本に両属し、事実上日本のみに帰属することがはっきりしたのは台湾出兵や台湾領有の後である。

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(写真:台湾出兵の根拠となった琉球漁民殺害事件(台湾原住民に沖縄人が殺された事件)の墓)

 

<レポートに使った内容を修正し転用します…>

 

それまで文化が本土と異なった沖縄が、明治期以降、本土の文化と同一になっていく過程には、政府から同化を強制された面と、沖縄人自身が自発的に日本人になろうとした面の両面がある。

政府が日本人化を図った大きな要因は国防のためである。日本の南西の国境沿いに住む沖縄人が日本人になれば、彼らが日本を守ってくれるはずだと考えた。また統治上の利点や文明化を図るという目的もあった。一方、沖縄人自身が日本人になろうと自発的であった理由には、大きくは二つのことが挙げられる。当時の沖縄が本土に比べ経済的に貧しく、政治的な権利も制限されており、状況を打破するには、本土に沖縄が同じ日本であると認識させる必要があると考えたからである。さらに沖縄人と本土人が交流していく中で、本土人の沖縄人への差別があった。その差別をなくすためにも、日本人として同じ民族だと本土に認識させることが有効であったからである。つまり沖縄は手放しに日本になりたかったのではないのだ。

 

やや本題からずれるが、私は自らが所属する世代は高校野球で沖縄を知った世代であると考える。2006年に八重山商工高校が春夏ともに沖縄県代表として甲子園に出場した。野球部の強化にとって逆境である離島の高校であったことが注目を浴び、石垣島にある日本最南端の高校である珍しさも手伝って連日メディアで報道が行われた。

 

2010年には興南高校が甲子園春夏連覇をした。夏優勝は沖縄県代表校初で、連覇は全国史上六校目の快挙であった。今キャンプを賑わしている東浜巨は沖縄尚学で2008年に選抜優勝。私たち高校野球で沖縄を知った世代は、この沖縄の知り方が沖縄の理解を阻害していると考える。

 

特に八重山商工高校が甲子園で活躍したことは大きな影響を与えた。1990年度に生まれた世代は中学3年生から高校1年生にかけての頃であり、社会に関心が高くなり、彼らの価値観を決定するのに重要な時期であった。八重山商工高校は、「公立高校の上に、離島というハンデを背負って戦っている」といういかにも高校野球ファンが好む性格を持っている。甲子園で離島の高校が勝利したのは八重山商工高校が初めてだとされる。メディアは彼ら高校野球児を極めて好印象に語り、他都道府県も一緒になって応援していたと記憶している。

 

高校野球は日本全国の均一性を高める装置の役割をしている。北海道から沖縄まで、全国の高校生が同じルールを用い、同じように野球に真剣に取り組み、同じように甲子園を目指している。とりわけ顕著なのはNHKの試合中継放送である。放送の途中で代表校の地元を紹介するコーナーがある。このコーナーでは今甲子園にいる高校野球児たちが、日本全国の様々な地域から集まっていることが強調される。この強調は日本中が同じことをしているのだという一体感を生んでいる。NHKの試合中継放送のみならず、野球という同じスポーツをしていることを通し、一般の報道で沖縄の高校生のことを知ることは、沖縄という普段は想像していない地の高校生たちが自分と同じ普通の高校生だと認識させることとなった。

 

しかし実態として沖縄は以前日本ではなかったし、日本になった後も日本から切り離される可能性も大きくあった。台湾領有以前、沖縄は中国との交渉の中で中国側に譲渡させる案も出ていた上、敗戦後にアメリカ統治下におかれたことはこれを物語っている。

 

 

沖縄が今は日本であっても昔は日本でなかったことを考えれば、日本というものが確固として存在し続けたとは言い切れなくなるはずだ。

それに基づけば、尖閣諸島だって、竹島だって、日本固有の領土であるという発想には繋がらない。

私は日本人であるから、尖閣・竹島は日本領土だと考えるが、しかし固有だとは思わない。

【固有】とは「もとから持っていること。また、そのものだけが備えていること」を指す。国の境が不安定であることを考えれば、日本が“もとから”持っている領土で、ずっと日本が“独占”している領土なんていう言い方は存在できない。

 

ではどうしようかと言えば、棚上げするしかないと思う。

人も住んでもいない島のために絶対に戦争にしてはいけない。

当然、人的なことも経済的なことも考えても、戦争は論外だ。

日本は回りが戦争をしている間に成長した。第一次世界大戦しかり、朝鮮戦争しかり。身をもって戦争してなかったことや、戦場にならなかったこと、戦争の準備をしなかったことでいい影響を享受してきたのでは。

じゃあ永久に棚上げするのかと言えばそうではない。

 

いつしか国境というものが意味のなくなる世界がくるかもしれない。

そんな遠い話ではなくても、国際交流が進めばより大局的に判断できる人材が増えていくに違いない。

 

 

ジャグリングのイベントで、南京で日本語を学ぶ大学生と交流することがあった。

数時間ではあったが、彼らに日本人の一人の顔を知ってもらうことはできたのかと思う。

その後、尖閣国有化のためのデモが起こった時、彼らはデモに参加しなかったと聞いた。

これが解決策だと思った。

 

 

国の名前を聞いた時、人の顔を想像できるかどうかが判断の質を大きく左右する。

誰々さんの○○という国と考えた時と、漠然と○○国と考えた時では、全く思考が変わってくるはずだ。

それはもちろん、海外側だけではなく、日本人側もそうなるべきだ。

 

私たちの世代が平和のためにすべきなのは、人を想像できる想像力を養うことだろう。

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2011年2月11日 (金)

京都観光地ランキング10!

1週間弱ほど、京都に旅行してきました。

中学校の修学旅行も、高校の修学旅行も京都だったし、法事やら、家族旅行やらでも京都は行っているので、けっこう詳しいかもです。

 

と、いうことで、

行ったらいいと思う、神社・お寺の観光地ランキングを私的に作ってみたいと思います!

トップ10です。

 

 

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じゃーんshine

JR東海の「そうだ 京都、行こう。」のCMと合わせて紹介します。

 

1位 伏見稲荷大社

伏見稲荷大社

稲荷神社の総本宮。千本鳥居が有名。鳥居が延々と続く回廊が見事!

 

2位 比叡山延暦寺

 

3位 平等院 鳳凰堂

10円硬貨で有名な平等院鳳凰堂。1万円札にも鳳凰堂の鳳凰が描かれています。

 

4位 京都御所

京都御所

天皇が暮した京都御所。係の人が案内してくれます。

 

5位 清水寺

http://www.youtube.com/embed/yW4-svxASog

 

6位 金閣寺

http://www.youtube.com/embed/WLLymnLQhI8

 

7位 蓮華王院 三十三間堂

 

8位 貴船・鞍馬

鞍馬には源義経伝説があります。貴船は縁結び祈願ができます。

 

9位 龍安寺

http://www.youtube.com/watch?v=fJFd23Jpc14

石庭があまりにも有名。

 

10位 大原 三千院

 

 

伏見稲荷大社千本鳥居

伏見稲荷大社千本鳥居

伏見稲荷大社千本鳥居

 

三千院

三千院

三千院

 

トップ10は、伏見稲荷大社、比叡山延暦寺、平等院鳳凰堂、京都御所、蓮華王院三十三間堂、清水寺、金閣寺、貴船・鞍馬、龍安寺、三千院で以上。

他にも、北野天満宮、知恩院、銀閣寺、広隆寺もいいですよね。

 

ちなみに、今回の旅行では、

上賀茂神社、下鴨神社、天橋立、京都御所、石清水八幡宮、東福寺、鞍馬寺、貴船神社、三千院、八坂神社、彦根城に行って来ました。

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